平成26年10月2日に中村ブレイス株式会社へ訪問しました。
石見銀山の中にある本社にお招きいただいたため、本社に向かいましたが、場所が分からず少々迷いました。そのため石見銀山の町の中を少し見てからの訪問となりましたが、町が昭和時代かそれ以前の古い町並みで、正直な感想は「少し寂れた」場所である印象をうけました。
中村社長も以前の街並みを「ゴーストタウン」という表現をされていました。書籍によると、石見銀山で銀が産出されていた戦国時代には、世界中から知られ、この町は人口20万人を超える人がいたそうです。石見銀山の入り口で説明されていた方の話によると、山の上にも家が建ち、人が住んでいたそうで、その時代の昔話を祖父や父、近所の人々から中村社長が聴いていたために、出た言葉だと思いました。その反面、このような話を聞くことによって世界に向けての視点が子供のころから育まれてきたのであろうと想像しました。
実際、中村社長は技士装具の最先端技術をアメリカで学んで帰国することになりましたし、この土地で会社を創業した意味として「この町から世界に発信し、以前のように日とが集まって輝きを取り戻す。」そんな思いがあったそうです。とても大きな目標でしたが、現在、石見銀山は世界遺産となり、多くの人々の目に触れるようになり、輝きを取り戻そうとしています。 地元で代々住まわれてきた土地には愛着があります。自分の家も古く代々土地を守りながら生きてきました。以前の町の輝きを取り戻したい気持ちがよくわかります。
このようなお話もありました。「ビジネスの前に人を育てる。そして、それを喜びとしてきた。実際にはトラブルメーカーのような従業員もいたが、若者を育てることで、若者が手伝って支えてくれる。それに対してまた応えようとしてきた。」育てることと、お返しのように頑張ってくれる若者。更に応えようとする社長、という素敵な循環が会社の中に生まれていることを知りました。
DVD動画を拝見しました。義肢を心待ちにされている方へ従業員の方が義肢を手渡されたとき、患者の目から流れ落ちる喜びと何か多くの感情が混ざった涙を見たとき、そして、義肢を装着してすぐに歩こうとリハビリを始めた姿を見たときに、この瞬間のために中村ブレイスがあるのだと感じます。
学生時代の恩師の言葉「中村君は幸せだね。」の裏には自分の境遇の愚痴を言った中村青年にかけた言葉が今になって人生の中で大きな意味を持っていたことを知りました。「人のせいにしてはいけない」「まずは自分で一歩を勇気をもって踏み出すこと。」「自分の能力を最大限に一生かけて磨き続けてゆこう。」と解釈され、人生の指針とされています。
また、アメリカでのお世話になった方の名前ジョン・フリータさんの名前を何十年もたって記憶されており、この場で語られることや、ジョンさんからしていただいたことを未だに大切に思い、感謝されている人柄が人や物事との縁を繋げ、素晴らしい出来事を引き寄せるのでしょう。
その反面、その際には「金銭的な支援を受けたことは無い」の言葉も話の節々から出てきました。金銭的な援助は頼ることなく、自分の力で学び、経営してきたことは中村社長のプライドでもあるでしょうし、その姿勢が会社経営の中で現れる好不況の波に翻弄されずに今日までやってきた要因の一つであろうと思います。
見学会の後、仲間内で話し合いがありました。日本の会社経営について話が及び「年功序列が今の時代に合っているとは思えない」との意見が一人から出ました。しかし、今回の会社見学で見てきた、先輩が後輩に技術を教え伝えてゆく姿を話し合い「あのような姿が正しい年功序列だよね。」と話しました。若者が年長者に敬意を払うのを求めるのと同時に、年長者は尊敬を得るように日々研鑽してゆかなければなりません。制作現場で質問した際に「一人前になるには10年かかります。更に、ここにある自社で制作している製品のほとんどを製作できる人がいます。全て出来るようになるには長い時間がかかります。」とききました。朗らかに挨拶していただける方もいらっしゃいましたし、挨拶の直後に真剣な顔つきで一心不乱に石膏を削っておられた方もいらっしゃいました。DVDで見た方のために真剣に良いものを作ろうとする姿勢を感じました。
印象的な言葉がもう一つあり、「要は、人は出来ないと思い込んでいるだけなんです。」と教えていただきました。これから未来へと進むときに、何かを成し遂げようとするときに、とても勇気をいただきました。
私は「中村社長はラッキーという言葉を何度も使われましたが、運がよくなるにはどうしたらよいでしょうか?」と尋ねたところ「運が良かったことは認めるけれど、そればかりでは無かった、アメリカに留学中に交通事故にあって死んでしまうような目にも合っています。しかし、出会いや出来事を良いように解釈してやってきました。」と教えていただきました。自費で渡米しアメリカの最先端の技術を学ぶ積極的な姿勢と、努力、そこに現れる物事を、自分の良いと思われる方へと解釈して、よい方向へつなげてきた事が現在の中村社長と中村ブレイスを作ってきたのだと思います。
「いい会社」として日本で有数の会社の社長の言葉はとても分かりやすく、シンプルで、感謝とと慈愛に満ち、道徳的で、そして情熱的でした。
経営戦略戦術の話は一切出ず、人の道を示されました。
そのお話の中に「いい会社」としてのヒントがあるように思います。
今回は貴重な時間をいただき、ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしております。